先日、ある昔ながらの喫茶店に立ち寄りました。
30年以上営業しているお店らしく、常連さんたちが店主と気さくに話をしたりしていて、地元の方々に親しまれているお店なのだなという印象があった。
私の印象は、こういう場所で飲むコーヒーって苦いというイメージが子供の頃に飲んだ記憶のまま残っていました。考えてみれば、大人になって、さらにはコーヒーにハマってから初めて、昔ながらの喫茶店のコーヒーを飲みました。
改めて、昔ながらの喫茶店のコーヒーを飲んでみて、色々と考えさせられることがありました。これをきっかけに、自分がどういう味を「おいしい」と感じるのか、改めて考えることになりました。
昔ながらの喫茶店で出会ったブレンドコーヒー
先日、ある昔ながらのとある喫茶店に行きました。
昔から長く営業しているお店のようで、地元の常連さんたちが和やかに談笑しており、落ち着いた空気感がとても印象的でした。
せっかくだからと、そのお店のブレンドコーヒーを注文。
届いたカップを手に取って一口飲んだ瞬間、ふっと「煙っぽい」香りと後味を強く感じました。
そのときふと思い出したのが、自宅での自家焙煎で失敗した時の味です。
豆に煙がまとわりついて、飲み終わったあとまで舌に残るような、あの記憶。
もちろん、喫茶店がミスをしたわけではありません。
ただ、「あ、これは自分の好みとはちょっと違うな」と、素直にそう感じてしまいました。
「煙っぽさ」はコーヒーの失敗?それとも個性?
そもそもコーヒーが「煙っぽい」と感じられる理由には、いくつかの要因があります。
- 焙煎が深すぎたことで、煙や焦げの風味が豆に残る
- 焙煎時の排気が不十分で、豆にスモーキーさが移る
- 焙煎後の冷却が不完全で、香りがこもってしまう
- 豆の鮮度や保存状態によって、風味が劣化している可能性
自家焙煎をしていると、こうした「煙っぽさ」はミスの結果として出てしまうことがあります。
私自身、初めて手鍋焙煎をした時に豆を焼きすぎて、煙が強く出てしまったことが何度もありました。
でも調べていくうちに、昔の喫茶店ではあえてこうしたスモーキーな味わいを狙っていたケースもあると知りました。
昔の喫茶文化では「煙っぽい」が普通だった?
日本の喫茶店文化には、深煎りで苦みの強いブレンドコーヒーがよく見られるとのこと。
タバコと一緒に飲むことを想定していたり、濃くて重たい味わいが「コーヒーらしさ」とされていた時代もあったのだとか。
当時の焙煎スタイルやマシンの性能も、現代のような繊細な排気制御とは異なっていたため、スモーキーさはごく自然なものだったのでしょう。
つまり、あの煙っぽさは失敗ではなく、その時代のおいしさの一つの形だったとも言えるのかなと。
自家焙煎経験が「味の記憶」をゆがめる?
今回私が「好みじゃない」と感じたのは、単に味の問題ではなく、自分の中にある「焙煎の失敗体験」と結びついた記憶が影響していたのかもしれません。
コーヒーの味は、技術だけでなく記憶や感情ともつながっている。
このことに、改めて気づかされましたのかなと。
結局は、今までに自分が味わったことがある味や匂い、その時の感情による味の感じ方の記憶から好みを判断しているのだなと。
好みは十人十色。味の違いを楽しめる視点を持ちたい
今回訪れた喫茶店には、ファンが多く、好意的な口コミも見かけました。
雰囲気の良さ、ブレンドの個性、それぞれに魅力があるのだと思います。
一方で、自分の味覚には合わなかった。
でもそれは「ダメ」ではなく、「違いに気づける舌」が育ってきたという前向きな気づきでもあります。
自分がどんな味を心地よいと感じ、どんな風味が苦手か。
その感覚を掘り下げていくことも、コーヒーの楽しみのひとつだと思っています。
おわりに:喫茶店のブレンドが教えてくれたこと
コーヒーの味覚は、時代や文化、そして個人の記憶によって変わるということ。
だからこそ、ある人にとっての「絶品」が、別の人には「ちょっと合わない」こともあるんだなと改めて考えさせられました。
それでも、そんな違いに気づき、背景を考え、味わい直してみる。
そういう体験が、またひとつ自分のコーヒー体験を豊かにしてくれると感じました。
今回の「煙っぽいコーヒー」との出会いは、自分の焙煎にも、味覚にも、そしてコーヒーという文化への見方にも、小さな発見をくれたような気がします。
また、機会があれば他の昔ながらの喫茶店のコーヒーを飲み比べてみようかなと。